『幸せになる勇気』は、岸見一郎と古賀史健によるアドラー心理学の教えを深掘りした本です。前作『嫌われる勇気』の続編で、青年と哲人の対話形式で進行します。
「そんな見方があったのか」「よく考えたらそうかも」と新たな気づきが多いとともに、アドラー心理学の教えを具体的に学びながら「幸せになるヒント」を得られ、「よし!頑張ろう」と明日へ希望を持てるような素敵な本です。
教育や人間関係に悩む人にとっては非常に有益な一冊ではないでしょうか。私は読んでみて率直な感想は「私が育児している時にこの本に出会いたかったな」です。
要約
- 教育の目標は「自立」
アドラー心理学では、教育の目標は「自立」とし、教育は自立への支援と考えます。教える側が教わる側を尊敬することが重要です。
自分を尊敬していない人の話を子供は聞かない。
尊敬とは「ありのままにその人を見ること」
尊敬するにためには他者の関心ごとに関心を寄せる必要がある。
- 叱ってはいけない、褒めてもいけない
賞罰教育は競争を生み、対人関係を縦の関係にしてしまうため、アドラー心理学では否定されます。叱ることは合意形成を避ける手段であり、褒めることも競争を助長します。
どちらも自立を阻害する行為であり、賞罰によって子供は承認欲求を求めるようになる。
支配されやすく、不自由になる。
- 真の自立に必要なのは「愛」
自立には「愛」が必要であり、愛を知ることで自己中心性から脱却し他者と協力することができるようになる。
「汝の隣人を汝を愛するように愛せよ」
自己中心的な人は自分のことが好きだから自分のことばかりを見ているのではない。ありのままの自分を受け入れることができず、絶えず不安にさらされているから自分にしか関心が向かない。
「幸福とは貢献感」
私は誰かの役に立ってると言う感覚。これが所属感につながる。本当に自分が役に立っているのかはわかりえない。自分の問題ではない。自分にできることで大切なのは貢献感しかない。
ダンスホールの傍観者になってはいけない。そばにいる人の手を取って今できるダンスを精一杯踊る。
愛でしか幸せになれない。
感想
子育て、教育に対する姿勢を考えさせられる。
「叱ってはいけない、褒めてもいけない」
これが一番びっくりする。「じゃあどうすればいいのよ!」ってなる。
どちらも自立を阻害する行為だから。賞罰によって子供は承認欲求を求めるようになる。
そして、子供が問題行動に出るには目的がある。問題行動5段階はゾッとした。
- 賞賛の欲求:いい子を演じて褒められようとする
- 注目喚起:悪いことでもいいから目立ってかまってもらおうとする
- 権力争い:反抗する。正面から戦いを挑み勝利することで欲求を満たす
- 復讐:嫌がることをする。ストーカーや引きこもり
- 無能の証明:何もできないことを演じ完全無気力となる
今では落ち着いてと言うか普通に結婚し子供もいる長女だけど、彼女が中学の時を思い出した。
まさしく問題行動!彼女が小学校の時はおとなしく人見知りで、目立って悪いこともせず普通の女の子だった。→第一段階!彼女が4年生の時に私は離婚した。子供たちの苦労の始まり!
6年生の途中くらいから学校をよく休むようになったかな。中学に入るとどんどん積極的に休むようになった。→第二段階!私は離婚してから必死で働いていたので子供たちと向き合えてなかったな。今は何を言っても言い訳にしかならんけど。
学校も相変わらず行ったり行かなかったりで、一度警察から電話があって「万引きしました」って。→第三段階か!家では兄弟喧嘩が頻繁にあったな。でも私は子供なら喧嘩して当たり前くらいにしか思ってなかったし、私が側にいる時はそんな大きな喧嘩もなく、決まって仕事で家にいない時に限って「お姉ちゃんが暴れる」「お姉ちゃんに叩かれた」と電話がかかってくる。一番酷かった時は、彼女は他の兄弟たちに包丁を持って脅していたことがあった。実際の現場を見たわけではないけど、さすがにその事実に長女を怒り注意し、危険なことを懇々と説明し、二度としないように約束させた。
が、彼女はその行動をやめなかった。→第四段階!
暴力は一番コストのかからないコミュニケーション。
仕事に出てしまったら帰ることもできないので、私は心の中で何も起こりませんように!と願うしかなかったし、ほったらかしてごめんといつも謝るしかなかった。
結局、喧嘩や包丁事件は次第になくなっていった(と思っているのは私だけかも)けど、学校は最後はほぼ行かなくて、よく高校に行けましたねって感じ。
高校生になり、周りの友達環境も変わってか落ち着いて、高校生デビューしてました。
その時はわからなかったけど、アドラーを読んで初めて気づかされた。
長女は4段階目まで来ていたんじゃないかって。
今更後悔しても遅いし、もっと早くにこの本に出会っていたらと、涙が出た。
仕事のせいにして放置でごめん。まましかいなかったのに助けてあげられなくてごめん。
後日、次女とこの子供の問題行動について長女のことを例に話していると、
「あの時はなんでお母さんおらんのよって思ってた。今になってわかるけど朝も夜も働いてたし、お父さんとお母さんの二役してたんやもん、しんどいよ。本来なら4つの目があって当たり前やのに、2つしかないんやから見えてないことあるのは仕方ない。逆に、お母さんおらんから自分たちで何とかしやんなあかんって言う力がついたと思う」
「思春期の多感な時期に、おらんかったのはお母さんの間違いやったかもやけど、あかんかったとしたらそこだけで、次また生まれてくる時もお母さんの子供がいいと思ってる!」
私は泣きました。「ありがとう」
子供が小さい頃のことは今でも昨日のことのように記憶にあります。知らないうちに大きくなってるんですね。当たり前ですけど、自分も歳を取っているんだからね。
いつの間にか大人になって、
いつの間にか大人の話ができるようになって、
いつの間にやら私が悩みや愚痴を聞いてもらってる時もあって、
こうやって立場が逆転していって、
最終は私が子供になるんだろうか?どうなるんだろう?
すべての問題は人間関係にある。
日々に悩みをもたらすのも人間関係にあるが、逆に喜びや幸せも人間関係から生まれる。
他者を尊敬し、課題の分離を理解し、これからどうするかを決めること。
これが自立のスタート。自立は経済的な問題ではなく精神的な問題。「愛されるためのライフスタイル」からの脱却。
大人は「あなたのことが心配だから」「あなたのためを思って」と警告するが、心配していると言うより自分のコントロール下に置きたいから。子供への尊敬はここにはない。自立を阻害している。
人と人は、永遠に分かり合えないからこそ信じるしかない。
受動的ではなく、能動的に、与えてもらうことばかり考えず自ら与える。
「与えよ、さらば与えられん」
読みながら考えさせられることがいっぱいあった。アドラーの言う自立には至ってないけど、自分がその時にできる限りの愛は与えてきたと思う。
そこは私の貢献感。
世界はシンプルであり、人生もまた同じである。しかし、「シンプルであり続けることはむずかしい」。
すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。それだけです。
人生の主語を「わたし」から「わたしたち」に変えるには時間がかかりそうですが、勇気をもって人を愛し、そして自分で自分の人生を選択していこうと思う。
興味があったら読んでみてください!
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参考になれば嬉しいです。
では、人生楽しんで生きましょう!